ポリアモリーについて

空 のぶの部屋

今日もノブの部屋へようこそ^^

 

一夫二妻をやろうと思った時。

その時の自分の状態というのは「これから俺がしようとするのはどういう事なのか?」という不安。

そして、ネットで色々検索する中で、「ポリアモリー」という生きたかをする人がいる事を知った。

「僕がこれから選択する生き方はこれなのかな~?」と思い。

自分の生き方に対する固有名が分かった事。

この時、そう言った生き方をしている人達がいる事で、日本人ならではの、「前例がある」とか「僕だけじゃない」という安心感というかホッとしたのを覚えている。

また、ポリアモリーについて紹介してるサイトで、「ポリアモリー倫理」というモノがあって

意思決定は合意のうえで

正直であれ

相手を思いやる

本気でかかわる

誠実であれ

個性を尊重する

意外にも僕が考えていた、これから一夫二妻をやるにあたって、僕たち三人が楽しく暮らしていくのに必要な考え方がそこには詰まっていた。

実際の所、現在皆で暮らしていて、この「ポリアモリー論理」と言うのは意識的・無意識的であれ、僕自身、この論理に従って生活している。

まあ…ただこれは、ポリアモリーでなくとも、家族や仲間、一緒に生活していく上で誰でも必要な事だろうし、モノガミーでも、ライフパートナーと一緒に楽しく過ごしたいと思うなら、必要な要素や考え方ではなかろうか?

 

例えば僕の場合、今の生活というのは、不倫から始まったわけだが…

その時の状態というのは、一緒に暮らしている相手に対して、自分にも相手にも論理に反して生きているから辛い状態だった。

 

「皆が楽しく幸せに暮らす為に」

一般的な選択肢は二つ。

一つは、不倫相手と別れて、元の生活に戻る。

二つ目は、家族全部を捨てて、不倫相手を新しいライフパートナーとして生活をする。

でも、僕は三つ目の選択肢。

「皆に全部打ち明けて、皆で暮らす」という選択肢を選んだ。

残念ながら不倫の結果というのは、行った時点で結局の所「嘘」が生じるので、必ず誰かを傷つける事になる。

一つ目の選択肢は不倫相手を傷つけ。

二つ目の選択肢は今まで暮らしていた家族を傷つけ。

そして三つ目の選択肢は僕を取り巻く繋がりの人を傷つける。

まあ、結局の所みんな傷つけちゃうっていう話なんです。

まあ…僕の人生は誰かを傷つけてばかりだが、生きていくというのは、いつも誰かであれ何かに傷つきながら生きるものではなかろうか?

多感な時期を僕は「平気な顔して」、色んな傷を刻みながら大人になった。

そうしていたのは、僕の周りにいる人達は僕の考えなんておかまいなしな人ばかりだったから。

僕の場合は外面的「痛い」や「角がたつこと」が嫌だったから。

『何で皆自分よがりなんだろう? 何で相手も一緒に楽しもうとか思えないんだろう?』

僕の考え方は、僕の周りにいる人達の一般的な考え方とズレている自覚があった。

でも、結局のところ、生きている以上、誰かが誰かを傷つけてるんだよ。

相手も自分も傷つかない様にとか無理だから。

最近思う事なんだけど。

充実した毎日を過ごす為には、まず「自分の心に正直に生きる事」

そして、「自分の心に正直に生きる」というのは、時に相手や誰かを傷つけたりする事でもあるということ。

つまり、誰かを傷つけるというのは、自分も傷つく覚悟も持ってなければいけないってこと。

僕の唯一の救いは…昔から変だと思われる事が多いけど、昔と違って村八分にされずに済んでる事かな。

今回ポリアモリーについて書くつもりが、だいぶ脱線してしまった。

 

現在僕には、二人のライフパートナーに三人の子供。

今度生まれてくる赤ちゃんに、僕の母。

この人数で生活している。

 

ポリアモリーと言っても、大事なのは相手との同意であると僕は思う。

言ってしまえば、共同生活体である。

思う所は今後、この家庭で育った子供たちがどういった大人に育つか?

今のところは、そのあたりが気がかりだが、それは、何年後か…結果が分かり次第またアップしていこうと思う(苦笑)

 

所で、ポリアモリーという認識でいうなら、有名な所で「西山家」(僕も一夫二妻をする前にお世話になりました)やユーチューブで複数見かけたことがあるが、ポリアモリーに関して言うなら、色々な組み合わせがあるだろうから、組み合わせの数だけ色々なパターンがありそうですね。

だから、ポリアモリーと一口に言っても、組み合わせにより、色んなパートナーシップがあり、自分の自覚+相性とかで、うまくいく人うまくいかない人がいるんじゃないかな~っていうのが、僕が思うポリアモリーに対しての考え方です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました